続・虹の向こう側

書いて、走って、旅をする。日日是魔法日和

赤い玉を持つ男(2)

「シャスタのガイドをお願いします」と、東京在住のSという男性から依頼のメールをもらったのは、ガイドの予定が立て込んでいる八月夏休みの頃だった。「すみません、ご希望の日程の前後はガイドが入っているので、お受けできません」と返事をした。すると、余程切羽詰まっているようで、合間に一日だけ予定が空くその日だけでいいのでガイドをしてほしい、とのことだった。男性一人、なんだかちょっと面倒な気分だったが、彼のシャスタに対する得体の知れない熱い思いと、彼をシャスタに向かわせる不思議な赤い玉への好奇心もあり、ガイドを引き受けることにした。シャスタに関わってから、来る者拒まずでガイドをしていた時期だった。

 

何しろ一日だけのガイド、どこを案内するべきか検討もつかない。前日にシャスタ入りしていたSはとりあえず、自分一人で周辺を廻ってみたという。でも赤い玉を返す場所は見つからなかった。それでは、時間内に廻れる限りまだ訪れていない場所を廻りましょう、ということで、数カ所案内する。ぼんやりしょんぼりとSは時間が立つに連れて意気消沈しているようだった。「ああ、あのガイドブックの導きは幻想だったのか」、東京から重い身体と心を持ってやって来たSの残念な思いが私を包む。時刻も夕方に迫り、最後の訪問地に向かった。それは、夕方のある決まった時間に行くと太陽の光が反射して滝に虹が掛かるとても美しい光のレースのような滝だ。滝にたどり着くまでに小一時間、線路を歩いて行かなければいけない。一日数本の貨物列車が通り、タイミングが悪いと線路のレールすれすれに貨物列車を交わす羽目になる。映画「スタンドバイミー」で少年達が歩く、冒険旅行のようなスリルがある。

 

真夏の太陽で熱せられた灼熱のレールの上を言葉少なに二人でてくてくと歩いく。Sの孤独感がずっと向こうまで続く線路の先へと影を落とすようだった。やっと滝にたどり着くとそこはマイナスイオンと真夏の光に溢れた別世界だった。嗚呼、とSが小さく感嘆の声を上げる。

 

私はその時、不思議な状況に気がついた。いつもはほとんど人のいないその滝の周りにたくさんの人がいる。Sが滝の間近に行き、目を閉じて祈りを捧げ始めた。私はSを後ろからそっと見守っていた。何かに感応したようにSが光の中で佇んでいる姿が美しく光っている。ついさっきまでどよんとしていたSのエネルギーが変わっていた。

 

Sが祈っている間に不思議なことが起こった。周りで滝を眺めていた人達が滝壺に入り始めて水遊びを始めた。これまでこの滝で人が泳ぐのを見たことはなかった。私にとって白龍が住むと信じているこの滝はとても神聖で、人が泳いだり水遊びをする場所ではない、と思っていたので、尚更仰天したのだった。人々が上げる水しぶきが虹の滝を更に美しく輝かせていた。私にはふと、ここに住む白龍が喜んでいるように思えた。私の中の神聖な龍神伝説はその時、形を変えた。人が交わることで自然界は喜び光を増す。神聖なることはただ祀ることではなく、自分自身で体感することなのかもしれない、と。無邪気に自然の美しさに感応して遊ぶ、それは自分の中の神聖と自然の神聖が交わり喜びのエネルギーを生み出す神の行為なのではないか、と。「自然は神なり」また、「人間は自然なり」なのだ。

 

そんなことを思っていると、Sがふと目を開けた。「嗚呼、わかりました。あの赤い玉はここに住む白龍の片目でした。」「それをここにお返しすることが出来ました。」祈りの間にSが見たのは片目を失った白龍だったと言う。白龍は赤い目が戻ってとても喜んだのだと。Sに聞いてみた。「さっき、あなたが目をつむって祈っている間にたくさんの人が滝に入って遊び始めたんだけれど、その時に歓声とか気にならなかった?」。「いやぁ、自分は静けさに包まれていましたよ。そんなことが起こっているのは全然気づかなった」。まるで二つの次元がそこに同時に存在するように、Sが一人佇んで祈りを捧げていることに、周りの人達も全く気づいていないようだった。

 

あぁ、あの時、滝に住む白龍の喜びが、人々を滝壺に呼び喜びの祝宴を開いたのかもしれない。

 

すっきりとまるで別人のようなエネルギーに包まれたSと、また帰りの線路道をてくてくと歩く。最後の最後に赤い玉を返すことが出来て本当によかったね、と話しながら歩く道すがら、私は足元の線路をゆっくりと這う白い大蛇を見つけた。こんな大きな蛇をそれも白い蛇を見たことがなかった。蛇は龍神の化身と聞いたことがある。このタイミングで現れる、シャスタの魔法。

 

魔法は続いた。線路を歩き終え、車に乗り込み、町に戻る途中、目の前にシャスタが見えた。青い空、シャスタのすぐ上に白い雲が浮かんでいる。そのぽっかり浮かんだ白い雲はまるで白龍そのものだった。

 

あれから八年、今、Sはどうしているのだろう。シャスタの魔法を今も生きているだろうか。自然界の光と交流したあのシャスタの夏の思い出と共に、今も元気で暮らしていることを心より願う。