続・虹の向こう側

書いて、走って、旅をする。日日是魔法日和

登龍門

もう一人の名人、後藤さんのこと

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豆香洞の後藤さんのことを書いて、いつも心に残っているもう一人の後藤さんのことを思い出した。

 

ご縁あって、金沢の白山比め神社を案内して頂いた時のこと。「何が食べたいですか?」と聞かれ、「お蕎麦が大好きなんです!」と遠慮もせずにリクエストさせて頂いた。「蕎麦かぁ、美味しいけど、オーダーして蕎麦が出て来るまでに二時間掛かるところがあるんだけど」と仰る。「えっ!二時間?!いやぁ、それはいくら何でもねぇ、、、」と引きまくった。一体どんだけ接客の手際が悪いのか、想像もつかない程の待ち時間に面食らった。「いや、でも、やっぱりそこに行こうか」、全てお任せの神様ナビゲーションの旅だったので、連れて行って頂くことになった。何だかともかく特別な場所の気配がして、好奇心も盛り上がって来た。

 

着いた先は人里離れた山奥の小さな古民家だった。入り口には今にもボロッと落ちそうな木の看板に手書きの書文字で「登龍門」と書いてあった。

 

そこで一人で店をやっているのは、後藤才次郎さんという初老の仙人のような男性だった。古い古民家の囲炉裏端が客席で、知る人ぞ知る者しか多分この店にはたどり着けないだろう、という時代をワープしたようなセッティングに感動を覚えた。

 

どうして蕎麦が二時間も掛けて出て来るのかが分かった時は、感動のあまりに涙が出そうになった。

 

才次郎さんはまず、外のいけすに行ってヤマメを釣り上げて来る。串に刺されたヤマメは炉に立てかけられて遠赤外線の炭で焼かれる。「ヤマメが焼けるまでに45分掛かるから」と才次郎さん。魚が焼けるまでの間、炉端を囲んでお酒を飲みながら話に花が咲く。そして素晴らしく焼きあがったヤマメをみんなが食べ始める頃、「それじゃあ、蕎麦を打って来るか」と厨房へと消えて行った。「えっ、これから打つんですか?」「そうだよ、粉からね」。私は思わず、厨房の才次郎さんを追って、「すみません、横で見ていていいですか?」と聞いた。「いいよ」。人生話を聞かせてもらいながら、ゆっくりと蕎麦を打つダンディな才次郎さんに私は心奪われた。世界の片隅でこんなに自分のスタイルを守りながら生きている人がいる、その独自の美しいオーラをかぶりつきで味わえることが嬉しくて仕方がなかった。

 

いつかまた訪れたい、そう切なる思いを抱いていたけれど、才次郎さんはその後程なくして、天に登ってしまった。

 

ゆったりとした、あの魔法の時間を残して。

 

自分の旧姓が「後藤」だったことを嬉しく思わせてくれたもう一人の後藤さん。ずっとずっと私の心の中に住んでいる魔法の蕎麦打ち名人。 

 

才次郎さん、大好きです。ありがとう。