続・虹の向こう側

書いて、走って、旅をする。日日是魔法日和

食の女神様

そば打ち名人の後藤さんのことを書いて、嗚呼、この方のことをぜひ書かねば!と、続きます。

 

ご飯作りが苦手です。生きる為に一番大切なことが苦手だということがどれだけ私の人生を偏狭なものにして来たか計り知れない。若い頃は、ストレスが溜まると食べることが面倒でどうでもよくなった。体重38キロで、真夏の銀座のビルの自動ドアが開かなかったことを今でも鮮明に覚えている。食べなければ命を繋げない人間界は厳しい。それでも、人が用意してくれたとびきり美味しい料理は大好きだ。素材を活かして体に負担がかからず、もりもり食べれる食事、日本の懐石料理のように。繊細で四季折々の食材を目で楽しませ、心と身体を癒す日本食が世界遺産となったのも心から頷ける。

 

そんな私に神様は特別なご縁を用意してくれた。

 

佐藤初女さん、94歳で亡くなられるまで、青森の「森のイスキア」という食で人を癒す場所を主催され、心を病んだ多くの人に、また人生を繋げていく力を湧き上がらせてくれた人。ドキュメンタリー映画「ガイアシンフォニー第二番」にも出演されている。

 

そんな食の神様のような初女さんにロスで初めてお目にかかった。シャスタに出会って無我夢中で突っ走っている真っ最中だった頃で、ご飯作りは今よりもっと苦手だった。幸い料理が上手な心優しいパートナーがなんとか私の命を守ってくれていた。ガイアシンフォニーの映画に感動して、「サンフランシスコで映画を上映します!」と宣言した私に、初女さんは「しっかりしてね」と優しくも強い眼差しでおっしゃった。後に初女さんを知る方達から聞けば、そんなことを言われたのはどうやら私だけだったとか。まずはご飯を作れないような人間が初女さんとご縁を頂くこと自体が奇跡なのだ。

 

私は小さい頃から苦手な食べ物が多く、梅干しは見るのも大嫌いだった。その私が初女さんのおむすび講習会で初女さん手作りの梅干しの入ったおむすびを食べて泣いた。大嫌いな梅干しをなぜ躊躇なく食べれるのか、なぜ涙が出るのか、自分でもさっぱり分からなかった。そこにあったのはとてつもなく暖かな愛だけだった。

 

当時もうすでに80歳近い初女さんを、その後3度程アメリカにお呼びして、映画上映やおむすび講習会等を主催させてもらった。一度はニューヨークまで足を運んで頂き、マンハッタンでおむすびを結んで頂いた。マンハッタンのホテルの一室で、翌日の講習会の予行練習でおむすびを結んで頂いたことは人生の宝のような魔法の時間だった。

 

お年を召されてもいつも身なりを美しく整えられて、私の憧れの女神様だった。センスも抜群で、アメリカにお呼びした時に頂いた三宅一生のプリーズプリーツのナップサックは今でも私のお宝だ。私の好みの極みを知っていらっしゃったまさに心遣いの女神様。その中にお手製の梅干しが入っていたのだった。人を見る暖かな心遣いが今でも忘れられない。

 

初女さん、あれから少しは自分でご飯を作れるようになりました。誰かの為に作ることの愛しさも学びました。レパートリーは多分5本の指に収まるくらいだけれど、初女さんに出会えたおかげで今は少し生きるのが楽になりました。

 

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食の女神様は今は天で優しく微笑んでいる。