続・虹の向こう側

書いて、走って、旅をする。日日是魔法日和

易の魔法

棒は知っている。この世の全ては原因結果の法則であると。

 

発端はツアーで熊野を旅した時に出会ったある人物。神社参拝で隣で妙に丁寧に参拝しているその人に注意を引かれた。夜の大宴会では指名されて能を舞うという奇妙なちょっと忘れがたい存在だった。

 

その後、ツアーを主催した人経由でそのKさんがサンフランシスコへやって来ると知って、お会いすることになった。目の前に現れたKさんは着物姿に筮竹。なんなん?この人?面白すぎてすぐに意気投合した。その出会いをきっかけにKさんは毎月一回3泊4日で日本からサンフランシスコにやって来て易やお花やお香のワークショップをするようになった。

 

この易がなんだかすごい。色々な立筮方がある中で一線を画し、立て方があまりにも時間が掛かるので、ほぼ忘れ去られている幻の易だった。なんでも簡単にダイジェスト版が好まれる時代、それでもやっぱり魔法好きの私はその密教とも呼べる易の魅力に取り憑かれた。今まで全くの未知の世界をKさんを通して垣間見た。

 

易は中国数千年の歴史を持つ易経という占いのような教えのような自然の摂理の統計書のような経典が元になっている。これまでの易のイメージはたくさんの棒をジャラジャラと混ぜてなにやら未来を占う怪しい世界、だったのが、間近に易に触れて、あっ、これは宇宙科学ではないのか?と思うようになった。

 

易の基本は陰陽の組み合わせで、自然界の8つのエレメント(天地山水雷風沢火)が組み合わさって64卦を構成している。

 

易の神様からの気をもらい、筮竹を春夏秋冬の原理の元に分けていき、陰陽どちらかの記号を得る。その陰陽の記号が6つ揃って一つの卦をなす。根気のいる修行のような作業だけれど、そこに宇宙科学のような結果が表される。コンピュータ言語の基本が1と0で組み合わされて全てのプログラムが動くように、易の陰陽は少なくとも自然界のあらゆる事象を捉えることが出来るのではないか。

 

そんな小難しいことも頭の隅にあるけれど、私が易に惹かれたのは神様と直結して疑問に答えてもらったりアドバイスをもらえることだった。

 

毎回Kさんの立てた易に驚き感動し、でもある時、突然、人に聞くのではなく、自分で易の神様に直接繋がりたくなった。もう頭にモヤモヤした疑問や疑惑がいっぱいで、自分自身で繋がって思う存分聞いてみたかった。

 

あんたの易はもう信じられない!私に立て方を教えなさいよ!と真っ黒な私の思いを受け止めて親切に筮竹の魔法を教えてくれたKさん。今となってはもう感謝しかないけれど、あの時のご無礼をどうぞお許しください、そしてありがとう。最も手に取らないタイプであろう私が易に出会えたのは、私のアンテナのツボをドンピシャリと抑えたKさんとの出会いがあればこそだった。

 

もう頭の中のドロドロを全て排出すべく、立てまくった易。聞いても聞いても自分の欲しい答えにたどり着けない易。易は人の思いでコントロール出来ない自然界の真理を教えてくれた。全ては変化する自然界の中で、エゴでしがみつこうとすることがどれだけ愚かなことか、易はとことん教えてくれた。

 

あの時、悩んでしがみついてもがいた自分が咄嗟に掴んだ50本の棒。筮竹に託しても捨て切れなかったものは自分のエゴだった。それを見せてくれた易があったからこそ、自分の答えは自分で出す、と腹の底から学ぶことが出来た。

 

今ではほとんど立てることのなくなった易だけれど、いつでもその魔法と共にいられることは人生のもっとも輝かしい宝物のひとつだ。