続・虹の向こう側

書いて、走って、旅をする。日日是魔法日和

人生のタイマーをセットせよ。

昨日のブログのナルシスト自分に頂いたコメントを読んでちょっと考えた。今日のお題を頂いた気分で「自己愛」についての考察。

 

自分もそうだったけれど、世の中の多くの人は自分をどうやって愛していいのかわからない、それを模索しながら生きている。それは生まれ落ちた時から始まる人間の根元の旅かもしれない。親から自分を愛しなさい、という教育を受けて来なかったし、親が自分を愛しているようにも映らなかった。どうやったら人に愛されるのか、ずっと愛される自分になる為の方法を探し求めていた。

 

自己愛とはナルシストという意味では補えない自ら己を愛するという本質の愛だ。愛してもらうのが先か愛するのが先か、まるで鶏と卵のように答えの出ない問いだけれど、人生は短い。そんな答えの出ない問いに悩んでいる時間は無いのだ。特に人間50歳を超えたらもう人生のタイマーをセットして、最優先順位の生き方に邁進するのが良い。私がそういう思いになったのはやっぱり50歳を迎える頃だった。それまでは自分の性質との戦いみたいな思いが強く自分嫌いも強かった。自分探しというのをずっと外側に求めていたけれど、どこにも本当の自分は見つからなかった。それが自分の中をずっと探し続けているうちに自分の中にいる小さな子供に行き当たった。それはまだ無垢で無邪気でナイーブな3歳の時の自分だった。その無垢な3歳の子供がある時ひどい体験をして心を閉ざしてしまった。世の中はろくでもない場所で、自分を守ることが出来なかった自分を許せないという気持ちを育んでしまった。大人になってある時その子にとても深い謝罪の思いが溢れてきた。あの時はごめんね、もう今は大丈夫、私があなたを守ってあげるから。その時から私の自己愛は大きく育って来た。

 

自分を愛せない自分を手放した。自分を愛せなかった自分を許した。自分にありがとうと言った。自分にごめんねと言った。自分に愛しているよと伝えた。よくここまでサバイバルして来たね、えらい!と自分を褒めてあげた。

 

人生のタイマーは後どれくらい残っているだろう。それは神のみぞ知る、だからこの瞬間も自己愛に邁進するのだ。

 

私の日課は自分を「可愛い!えらい!愛しているよ!」と褒め称えることから始まる。やっぱりただのナルシストか。(笑)