続・虹の向こう側

書いて、走って、旅をする。日日是魔法日和

太っちょのおばさま

昔本の虫だった頃大好きだったのがサリンジャーの「フラニーとゾーイ」だった。ニューヨークの中産階級の兄妹のお話で、大学で演劇を学び人間関係や演劇活動に悩み疲れ精神的に参っている妹を兄が諭し心の平安を取り戻させると言うお話。その中で兄ゾーイが語る「太っちょのおばさま」という存在が忘れられない。誰のために何のために演劇をしているのかを見失ったフラニーに「ほら、あそこに座っている太っちょのおばさま、君の芝居を観に来てくれているあのおばさまの中にキリストが存在しているんだ」「そして実は、世の中の人誰もがあの太っちょのおばさまなんだよ。」そんなふうなお話だったと記憶している。神のために、と言う崇高な意識で芝居に挑んでも周りは自己顕示欲の強いスノッブな人たちばかり、ここには私の求める純粋な追求心を持つ人なんて一人もいない、私は孤独だ、そんなフラニーが舞台の向こうにいる太っちょのおばさまの中に光を見出す。自分の舞台を観に来てくれるただ一人の人のために。その一見何者でもない太っちょのおばさまが神様なのだ。そしてこの世に誰一人として太っちょのおばさまで無い人はいない。そう悟ったフラニーはやっと深い眠りに落ちることが出来た。

 

あのお話、ずっと心の隅にしがみついている。誰をもつい人間性において自分の尺度で値踏みしてしまう傾向のある私にとって太っちょのおばさまのお話は心のほつれを直す最良のホームレメディなのだ。

 

本に魔法が存在した時代、登場人物がまるで自分の人生に関わった重要な人たちだったような、そんな素敵な錯覚を起こさせる本だった。

 

私も私の太っちょのおばさまを見つけたよ。それは私の心の中にいた。