データと実践の狭間でスレッシュホールド!
昨日は1時間45分のロングラン。ゆっくりのんびりペースで走って9マイル、結構疲れた。大丈夫なのか?自分?本当にフルマラソンなんて走れるのか?それもBQ目指して?と弱気になった。ところが、最近使い始めたGarminの腕時計のデータを見たら、なんと自分の運動能力は20歳の若さだと評価されている。フルマラソンの予測タイムも私が目指しているタイムよりも信じられないくらい速くなっている。そのデータを見て、うわっ!と自分の中のやる気スイッチが一段上でオンになった。
日頃、筋金入ったデータベース屋の夫から流れてくるランニングと身体に関する情報量の多さに辟易としていた。私と同様全く運動オンチだった彼が50歳で走り始め、情報をかき集め、試行錯誤して、とうとうボストンマラソンに参加出来るまでのアスリートになって行く姿をずっと見て来た。もうこの人の頭は完全にコンピュータ化されていて、まずはサブジェクトに関する情報を徹底的に集め、比較し、テストし、落とし込む。たくさんの失敗と成功を重ねて、その精選された情報が彼の身体とパフォーマンスと精神力をまるで別人のように作り変えて来た。一方、私。データ分析ほど苦手なものは無い。走るのも感覚と直感でスルスルとタイムを伸ばしたい。なんでもコツコツと積み上げて行く夫とは正反対にふっと落っこちていたものを拾ったらそれが宝の知恵だった、みたいな人生だ。しかしここに来て、後3ヶ月でフルマラソンを4時間15分で走らなければ行けなくなった。そうしたら今まで全く耳に入って来なかったZZZZZZZZQQQRRRPPPみたいな謎のようだった情報が突然意味を成して俄然興味が湧いて来た。VO2Max? Lactate threshold? 何?だったのが、自分で調べるようになった。
止まらないラジオのような情報の垂れ流しに、もういい加減うるさいよ!と心の中で何度悪態をついて来たことだろうか。ふとそれも愛だと分かりながらも。
しかし、ここに来て、その愛をがっつり受け取れる自分になれそうだ。
全ては時が満ちて。人生に無駄なものはひとつも無い。